わたしにとってのdesignは、所謂ところの制作物をイメージしていません。
おひとりおひとりの路を一緒に切り拓くという意味で
人生をdesignしているといったほうが体感に近いんです。
…なので、わたしひとりでは創ることができません。
目の前に来てくださる方は様々で、毎回驚かされます。
「なんでわたしの元に来てくださったのか」っていつも思う。
きっと、世の中には素晴らしい方なんてごまんといる。
わたしは、その素晴らしい創り手の方々を尊敬しています。
一方で、目の前の方の人生そのものに触れたとき、
わたしはその軌跡が愛おしくって仕方がない。
同時に、どうしたらその内なる願いに手を伸ばせるのか、
一緒に考えたいと思うんです。
わたし自身、とても抜けているし、
能力に凹凸があって完璧な個体ではないけれど、
だからこそ、凹凸な個性そのものに愛おしさを感じるのかもしれない。
我が家にはわたしが集めた作家ものの作品や古物が沢山いるのですが、
綺麗に揃ったものを好まなかったので
歪だったり、はぐれものの子が沢山いる。
でも、それが可愛くって、愛おしくって、
話しかけては愛情を注いでいます。
そんな個が愛おしくて仕方がないと感じるわたしは、
ドアを叩いてくださった、たったひとりの人生に
大地が生み出した不揃いの水晶のような輝きを感じることがあります。
その美しさを前に、どうしたら向き合えるのかを問い続ける日々です。
制作をするときは、一筋の光がみえたとき。
その瞬間、名も知らない色の焔が滾るような感覚がします。
おひとりおひとり違った色を持っているので、
紛れもない、その人だけの焔の色です。
どうか、そんな目の前のたった一人が、ただただ健やかであって欲しい。
人生に彩りを感じていてほしい。
ときには激しく、ときには胸を打つようなその淡い光さえも
一緒に大切にできたらと思っています。
『生宣』は生きる宣言と書いて『いのり』と読みます。
見据える先のその路が、拓いてゆきますように。
心から、祈っています。